タイトルは今生きていれば現在75歳くらい?の代々木に住むとある爺さんの言葉
親が遺した代々木の家にゴミ屋敷状態で独身で一人で住んでる
人生で働いたのは数年のみで元祖引きこもり。酒の飲みすぎで身体を壊して以降働いていない
散歩が趣味で毎月5~6万で生活している
ざっとこんな感じの人
世間一般的なお手本のような皆が羨む「幸せ」からは遠いんだろうけど、だからといって不幸でも無く慎ましい生活の中で楽しみを見つけていたようだった
自分とその爺さんは状況もなにもかも全く違うんだけど、なんと言うか自分の行き着く先の幸せもこの言葉通りの事なんだろうなと思った
ここ数年で凄く感じたことがあって
それは「当たり前」という常識が無くなってきつつあるんだなという事
昔は腫れ物扱いで完全にクローズなものだった「障害」が、「発達障害」が世の中に浸透して少しオープンになった気がする
「皆が出来て当たり前」から「皆と同じように出来なくても個々の能力に応じてやっていく」徐々にシフトしている
合理的配慮や療育、何より世の中の理解で完全とは言えないけれど少しでも生きやすくなるといいよね
それと、自分(現在33歳)の年代はまだ、妙齢になって良い人がいたら結婚、出産するっていうのがある程度スタンダードな考え方だったと思う
職場の20代の若い子達は結婚はしなくていい、嫌いじゃないけど子供は要らない
それよりも自由に自分の夢に向かってしたい事があったり、好きな事を楽しみたい、不自由になる結婚や子育てに希望を見いだせない
って言ってて率直にあぁきちんと考えて凄いわと思ってしまった(小並感)
SNSやインターネットの普及で結婚や子供を持つ事が幸せには繋がらないこと、そして現代で結婚して子供を産み育て「普通に生きる」事がどれだけ大変かという事がズバリ当事者の声で表に出てしまっているのだからそりゃー結婚や子供を持つ事に慎重になるしそこに夢や希望なんて無いよね
個人的に結婚は一番好きな人とする物ではなく、適齢期の男女がたまたまその時一緒に居る相手とするものや既成事実が出来たから(自分はコッチ)だから勢いが無いと結婚って出来ない気がする
するという選択肢の幸せ
しないという選択肢の幸せ
双方に別々の幸せがあるし、その幸せを両方手に入れる事は出来ないからこそ隣の芝は青く見えるんだろうけどね
結局何を言いたいのかよく分からなくなってきたけど(ブログ書いてる時はほぼ毎回陥る感覚)
誰かと一緒の幸せに拘るよりも、自分が幸せと感じたり楽しみを見いだすことの方がより大切な気がする
結局のところ安寧は自分の中にしか無いし、もっと自由に気楽に生きてもいいのかなと思った
人は出会って、別れて
無くして、また何かを手に入れる
人生ってなんか知らんけどそんな繰り返しで出来てるんだよな
ダメダメな事もアゲアゲな事も無い
人生良すぎることも悪すぎることもない
今はまだ悲しいけど、少しずつその悲しみもかたちを変えたり薄れてくるさ
大丈夫、大丈夫
辛くても日常は来るし腹も減るから地に足つけて生きていかないとね!